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仮面の告白~仮面浪人で東大合格~

某国公立大学から仮面浪人して東大に合格した著者がその経験を語るブログです。

1年ぶりの気胸、そして手術 (8回目/右)

気胸手術のリアル

 

今回は2度目の手術のお話です。前回手術を行った病院とは違う病院で手術したので基本的な流れは同じであるものの、違う点も多々ありました。痛みを感じ始めてから退院までの流れを書いていきます。

 

11月上旬

右肺に違和感を感じる。ただ、まだ気胸かどうかも怪しいくらい。しばらく気にしていなかった。

  

11月中旬

 

痛みがやや増し、自然治癒できるレベルの気胸と判断。ただ、そのレベルでも1年以上ぶりであったためショックではあった。

 

11月下旬

 

自転車通学の影響により、気胸が悪化、軽度から中度に変わったと予感するも自然治癒を信じてその後安静にしていた。しかし、数日たっても痛みが治まるどころか増していたため、入院を覚悟で病院へ。案の定中度の気胸で入院。

 

しかし、病院の都合ですぐには手術ができないことや試験が近かったこともあり、胸腔ドレーンよりも一回り小さい携帯型の管を肺に入れる処置で1泊2日で退院。その後の肺の膨らみも良好であった。

 

が、いざその管を抜くという日に肺がわずかにしぼんでいることが発覚。管も抜けず翌週に再び入院、手術が決定。

入院1日目

この日は手術の説明を聞くくらいで特に何もやらなかった。

 

入院2日目

 

14時から手術の予定であったが3時間前倒しの11時での手術となりあまり心の準備ができていない状態での手術となった。

 

手術については少し詳しく書いていく。

 

手術

 

手術は二回目だったため、漠然とした手術に対する不安のようなものはなかった。

 

が、手術開始予定時間が3時間も早まるとなるとさすがに心の準備ができていない。12時くらいまでブログの設定をいろいろとしてその後1時間ほど手術への気持ちを作っていこうと考えていたのに早くも11時に呼ばれてしまった。時間を変えることもできないのでおとなしく手術室へ向かった。

 

手術室に入室すると早速手術用の帽子をかぶせられ、いよいよ自分が手術されるのかという気持ちになってきてやや緊張し始めた。そしてすぐに横になるよう言われた。

 

ここで手術前日にリクエストしていた有線のことを思い出した。耳を澄ますとリクエスト通りの落ち着いた曲が流れていたがリラックスできるというよりかはお葬式のような雰囲気になってしまっていたので有線を自由にリクエストできる場合はできるだけ明るめのポップな音楽にすることをおすすめする。

 

さて、まずは全身麻酔の前に背中の麻酔、痛み止め注入から始まるわけだが(1回目の手術の時はなかった)これが猛烈に痛かった。まず、麻酔を注射されるわけだが、これがものすごく痛い。注射直後、痛みが背中にじゅわっと広がる感じだ。

 

そしてその麻酔をした後に術後の痛み止めを入れるための管を背中に入れていくわけだがこれもまたものすごく痛い。しかも研修生がやっているのか知らないが固い~とかのんきなこと言って全然奥まで入らない。そしてこっちは必死に痛みを我慢しているというのにのんきに入らない理由を分析し始めた。そんなのいいからさっさと入れてくれ。そんな気持ちでいた。

 

その後も何度も失敗し、痛みとともに怒りもこみ上げてきた。そしてその後、わき腹が痛くなったら教えてくださいと言われたが、ドンピシャにわき腹が痛くなったため、すぐに言った。

 

すると途中まで刺さっていた管をいったん抜いて再び猛烈に痛い麻酔を打たれた。おかしい、最初に麻酔を打っているはずなのに余裕で痛い、、どうなっているんだ。そして再び管を入れるも相変わらず固いな~と言いながら全然入らず何度も抜き差ししてそのたびごとに全然効かないくせに痛い麻酔を打たれ全身麻酔前に全体力を使い果たしてしまった。

 

そしていよいよ全身麻酔のステージに突入した。

 

背中の麻酔で全体力が消耗されたため、その後の全身麻酔の点滴は30秒ほどで目が開かなくなるくらいになり、1分ほどで完全に眠ってしまったと思う。

 

正直、痛みがひどすぎて早く眠って楽になりたかった。

 

全身麻酔はさすがによく効き、ここだけが唯一楽であった。

 

そして前の手術の時もそうだったがなぜか自分は全身麻酔から覚めるのが早いため、完全に手術が終わり、ベッドの上でゆっくりと目を覚ますということがない。いつも、手術は一通り終わっているもののまだ手術台にいる時に目が覚めるのである。

 

今回は丁度手術台からベッドに運ばれるところで目が覚めた。

 

前回の経験から、全身麻酔から覚めた直後は鼻から息をすることができないことが分かっていたため今回は覚めた直後は口呼吸でやり過ごした。しばらくして鼻と口を覆う呼吸補助具のようなものがつけられ、鼻からも息をすることができるようになった。

 

そして疲れからか再び眠り病室のベットで目が覚めた。

 

目が覚めてまず思ったのは尿道が痛いということである。全身麻酔の際は尿道カテーテルを入れられるのであるが前回の手術の時はその痛みがなぜか全くなかった。が、今回は激痛であった。何よりも下が痛い。早く管を抜いてくれ、そんな気持ちであった。

 

その後30分くらい管が入っていることへの痛みに苦しんだが、痛み止めも効いてきたのかその痛みは治まった。

 

しかしここから彼の本当の地獄が始まるのである。

 

尿道の痛みも落ち着き、ふう、と落ち着いていられるのも束の間、すぐに強烈な吐き気がやってきた。

 

これは背中からの管の痛み止めの副作用らしい。

 

あまりにも気持ち悪かったため寝てごまかそうとしたが、気持ち悪すぎて眠れるはずもなかった。3分くらい寝て起きてを永遠と繰り返していたような気がする。

 

何がつらいかって、もちろん手術をした胸のあたりも痛いから動くことが全くできずに同じような姿勢を保たなければならないという苦痛の上に吐き気が重なっていることである。

 

まさに生き地獄であった。

 

時計を見ることもできない今何時と聞く声を発することもできない、そんな状況であり、後自分が何時間この姿勢を保ちつつ吐き気に苦しまされなければならないのかわからない。かなり苦しい状況であった。

 

吐き気はもちろんであるが同じ姿勢を続けていることに限界が来たため、ベッドを起こしてもらい態勢を変えた。恐らくこの時点で手術が終わり病室で目が覚めてから3時間は経過していた。

 

なぜここまで態勢が変えられず吐き気止めを要求することもなかったかというとナースコールを呼ぶ気力もそばにいた親に話しかける気力も残っていなかったからである。3時間たってようやくその気力が少し出てきたのである。

 

そして態勢を変えたことによって楽になったかと思ったらまた束の間、今度は吐き気がさらに強くなり、5分に1回くらいのペースで吐いていた。ただし食べ物は食べていないため物は出てこないのが幸いではあった。

 

吐いても吐いても気分はよくならない。

 

吐き気止めは投与したばかりでまだ投与はできないとのことでありその後しばらく吐き気と戦っていたが死にそうであった。

 

結局、背中からの痛み止めを弱くし、それでも変わらないので完全に痛み止めを止めた。痛い思いをして背中から管を入れたのに結局すぐに止めてしまった。あれはなんだったんだ。

 

それでも吐き気は治まらず最終的に座薬まで使った。その後しばらくして、それでも結局17時から19時半くらいまで、約2時間半強烈な吐き気と戦っていた。

 

そしてようやく吐き気が落ち着いたと思ったら束の間、今度は痛み止めを止めたために強烈な痛みに襲われた。

 

これまでももちろん痛みはずっとあった。が、それは吐き気のインパクトに消されるほどの耐えられる程度のものであった。

 

しかし、それがとても耐えられるものではない程度になったのである。どれ程かというと説明するのは難しいがイメージとしては胸に毒入り薬物を注射で入れられ、その毒が注射で刺された部分から自分では制御できない感じでじわじわと体全体に広がっていくような、そんな痛みである。

 

速攻でナースコールを呼び、点滴から痛み止めを入れてもらった。点滴からでもいいなら背中からはやめてほしかった。そんな思いであった。

 

それからしばらくして痛みも落ち着きこれでようやくすべてが落ち着いた。この時恐らく20時半くらいであった。18~20時半はひたすら病室で叫んでいた。他の患者の方がいなくて本当に良かったと思う。痛みと吐き気がある程度落ち着いたのでその日の夜は途中何度か目は覚めたもののそれなりには眠ることができた。

 

入院3日目

 

多少痛みはあるものの昨日の苦痛に比べたら大したことはないという感じであった。そしてそのまま順調に4日目で退院したのである。

 

しかしこの後、さらなる地獄が待っていたのである。